清水宏保美人モデルとスピード離婚。その理由は?介護事業に参入していた?

1998年の長野オリンピックで金メダルを獲得した元プロスピードスケーターの清水宏保さん。輝かしい活躍の裏で美人モデルとスピード離婚! 引退後は自らの持病や経験を活かし介護事業に進出した噂も。トップアスリートなのにスピード離婚してしまった理由とは?現在の仕事は?


2016年のスポーツ界はリオオリンピックでの日本選手の記憶が新しいですが、冬になると毎年気になるのは雪のスポーツですよね。
長野オリンピックのスピードスケートで金メダルを獲得し、一躍時の人となった清水宏保さんについてまとめました。
輝かしくも壮絶な現役時代から、あの美人モデルとのスピード離婚、介護事業に参入!?の噂まで一気に復習しちゃいましょう!

  • 清水宏保さんのプロフィール
  • 美人モデルとスピード離婚。その理由は?
  • 介護事業に参入していた?




清水宏保さんのプロフィール

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名前 清水宏保

生年月日 1974年2月27日

出身地 北海道 帯広市

学歴  弘前大学大学院医学研究科在学中


清水宏保さんといえば、1993年、イタリアのバゼルガ・ディ・ピネで開催されたスピードスケートW杯に18歳の若さで初出場し、優勝したことで日本中にその名をとどろかせたスピードスケーターです。
身長は162cmと小柄で、力強く素早く滑走。1998年の長野オリンピックでは世界記録保持者というプレッシャーの中、素晴らしい走りで金メダルを獲得しました。
続く世界距離別選手権でも連続して金メダルとなり、世界のトップスケーターとして名を馳せました。
長野大会以前にも日本人選手がメダルを獲得していたのですが、最高でも銅止まり。それを乗り越えての男子スピードスケート500mで金。日本中が熱狂しました。



そして、長野オリンピック後には三協精機を退社し、日本で初めてスピードスケーターのプロを名乗って活動することを宣言します。
その背景には、スピードスケートという種目の知名度を向上させたいという思いがあったそうです。
長くNECと契約し、2005年までスピードスケートの第一線を走り続けてきた清水さんは、3年後の2008年にNECを退社。
株式会社コジマを新天地とし、加藤条治、及川佑などの「ポスト清水」の成長を見守りました。

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•がっちり握手を交わす清水選手と加藤選手(右)。


2010年には惜しまれつつも現役生活に自ら引導を渡し、次のように語っています。

本当にたくさんの方々に支えられ、幸せなスケート人生を送れた。
何か心残りがあるかなと考えた時、500メートルで34秒を切る33秒という大台を出すことができなかったのが唯一の悔い。
その最後の目標は、たくさんの後輩たちがかなえてくれると信じている。
僕がこれからすべきことは生涯スポーツとして、スケートの楽しさや滑ることの楽しさをたくさんの人々に伝えること。
そしてこれから五輪でメダルを目指す選手たちにアドバイスできるような立場になっていけたらと思う。
『33年のスケート人生「間違いなかった」 清水宏保選手が引退会見』(十勝毎日新聞社ニュース

清水さんはこの時の引退会見で、長野五輪に出場が決まってからの苦悩について語っています。

というのも、当時五輪に内定が下ったのは清水さんただ一人だったそう。
メダルへの期待が高まり、周囲からのプレッシャーに押しつぶされそうになりながらも、失神寸前まで心肺機能を高める過酷なトレーニングで自身を追い込んだそうです。
一番のライバルである加藤条治選手は、その光景を見て「僕、スケート辞めます」と言ってしまったとのこと。相当ストイックだったんでしょうね。

清水さんは自らの夢を後進に託し、33年のスケート人生を退きます。

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